こんばんは。教育学部小学校教育コース1年、そして山口大学ボート部48期の惣島大樹と申します。あだ名はそっしーです。出身高校と高校時代の部活は48期おしょーとまったく同じで、石川県の小松高校でボートやってました。
48期男子の自己紹介は自分で最後です。もうみんなが色々書いているので、自分はちょっと違った感じで書こうと思います。
自分は山口大学のボート部に入りたくて山口大学に進学してきました。といっても、エルゴは全然まわりませんし、水上に出ても、びびるほど遅いです。
それでも大学でボートをやりたいと思った理由と、山口大学ボート部に惹かれた理由をお話させていただこうと思います。
最初に言った通り自分は高校でボート部に入っていました。高校ボート時代の大半を後輩とのダブルスカルで過ごしました。自分たちの高校では新体制になったばかりの夏休み終盤に、新人戦県大会のために部内でのシングルレースというものを行い、その結果でクルーを組みます。自分はそのレースの結果、後輩とのダブルスカルになりました。そして迎えた新人戦、クルーを組み、まだ2週間でしたが、優勝することができ、次の中部選抜大会にすすめることになりました。しかし、その中部選抜大会では、井の中の蛙っぷりを思い知らされました。他県にまったく敵わず、準決勝最下位での敗退。この大会を機に改めて全国を意識し、冬のトレーニングを乗り越え、朝日レガッタでメダル、そしてもう一度石川県で優勝し、インターハイで全国と戦うということを自分たちのクルーの約束にしました。そうして、冬が過ぎ3月、新シーズンに入ったのですが、その矢先に後輩が手の怪我をしてしまい、朝日レガッタの1週間前まで乗艇の許可がおりず、結局5回ほどの練習で朝日レガッタに臨みました。結果は準決勝2位で、決勝にも上がれませんでした。よりいっそうインターハイを意識しました。インターハイ出場を決める県大会まで残り1か月でした。朝日での悔しさ、そして焦りから、できるだけのことはしよう、と本当にがむしゃらに漕ぎました。大会の期間がやってきて、がむしゃらに漕いできたものの、試合艇に乗り換えてから、バランスが思うようにとれず、艇をまっすぐすすめることも納得いかない状態でした。それでも、やってきた練習と、長くクルーを組んできたことの絆を信じ、試合に臨みました。予選は練習よりもよい漕ぎができ、艇も思っていたよりまっすぐすすめることができました。迎えた決勝レース。今でも覚えています。手汗が拭いても拭いても出てきて、とても緊張していました。アテンションゴー。スタート。最初から艇をまっすぐすすめられませんでした。おまけに、整調である自分が、完全にリズムを崩し、もう正直、わけのわからないまま漕いでました。800メートル地点で4位でした。自分たちの高校のBクルーにも負けていました。「ラスト」この言葉だけ振り絞り、叫びました。レートをあげ、ゴールしたら2位。北信越大会で引退。ゴールした瞬間から頭が真っ白でした。ただひたすら後ろから後輩の泣き声が聞こえ「先輩すいません。先輩すいません。」と繰り返し言ってきていました。隣ではライバル校のダブルスカルが勝利の雄たけびをあげていました。自分は「馬鹿野郎。お前のせいじゃないやろうが。」と一言口にするしかできませんでした。不思議なことに涙は一粒も流れませんでした。ただずっと後輩が泣いているだけでした。負けたその日は、涙も出ないほど自分のボートへの思いはちっぽけなものだったのか、ここで負けるかもしれないと考えてしまっていたのか、そんなことばかり頭の中で考えていました。打ち上げの場では笑っていても、そんな思いが頭を支配していました。しかしやはり、翌日からは、負けた現実にただただ悔しさだけが残っていました。気づけば負けた言い訳ばかりを並べていました。そんな自分が嫌でしかたがなく、ぼーっとしてしまっていました。そんな時後輩が、「俺たちが一緒に漕げるのももう1週間ちょっとしかありません。せめて北信越で勝ちましょう。勝ちに拘って、そこで全てを出しましょう。」と言ってくれ、北信越に向け、再び闘志を燃やしました。そしてボートを楽しみました。北信越大会、迎えた最後のレース。ゴール!そして同時に後輩が手をあげ、「シャー」叫びました。自分も叫びました。帰艇中、後輩がまた泣きながら、「ありがとうございました」と一言言ってくれました。後輩をインターハイつれてってやれなかった、一緒にインターハイ行こうと約束した仲間たちの約束を守れなかった、そんな後悔が一気に襲ってきましたが、同時に「最高の相棒とボートができた。」「ボートってめっちゃ楽しいやん」「なんて楽しい仲間たちとの時間だっただろうか」という思いもわきあがってきました。自分は後輩に向かって一言言いました。「俺、大学いってもボートやるわ。」.....「はい!!」自分が負けた理由はたくさんあります。日々の生活から変えなければいけないと痛感しました。「大学でもう一度、最高の仲間たちと最高のクルーでこの自分の悔しさにリベンジしよう!そしてもっともっと力をつけて、まだ見ぬ全国で戦おう!」こう思うことができました。これが自分のボートを続けようと決めた理由です。
山口大学に惹かれた理由は2012pvと山口大学の入試用の案内書です。引退してから色々な大学ボート部のpvを見ました。ホームページも見たりしました。山口大学の2012pvを見てすぐに思いました。「かっけー。なんじゃこりゃ。」やられました。すぐ山口大学が志望大学に入りました。「ここに自分もいれてもらいたい。ボートさせてもらいたい。」山口大学を受けようと決めました。無事にこうして入らせていただけてとてもうれしく思っています。感動しています。
本当にながながとすみません。最後なのでみんなとは違った内容をなるべく長く書こうと思ったら、気持ち悪い内容でこんなに長くなってしまいました。もう少しだけ許してください。
山口大学のボート部に入りたくて..なんて言いましたが、自分でもびっくりするほど力がありません。先輩方を見ていたら、「こんなレベル一生なれないわ、すごすぎる」と思うばかりです。「大学のレベルは違う。大丈夫かな。速くなれるのかな。」と毎日不安です。
それでも、山口に来てよかったと心の底から思っています。学校は今はクソつまらないですが、ボート部入って先輩方のおかげで、ここで頑張ろうと改めて思うことができました。まだ入部して、1か月ちょっと。これからまだ知らないつらさや苦しさに遭遇することになると思います。やめたいなんて考えることももしかしたらあるのかもしれません。仕方ないこともあるかもしれません。それでも、はいつくばってでも精一杯前を向いていきたいです。そして先輩方の姿を見て48期みんなで成長していきたいです。刺激しあい、ときにはほめたり、しかったり。自分が怠けた態度になっているときなどにはすかさず注意したりしてほしいし、そういった仲間になれたらいいと思います。勝利をつかんだその時こそ、ボートのおもしろさとか楽しさが味わえると自分は思っています。小さな勝利でも、その度ごとの感動を積み重ねていくことで、全員でどんどん成長していきたいです。自分ひとりでは勝てません。
この一年は先輩方にはたくさんの迷惑をかけてしまうかもしれませんが、教えていただけることはひとつひとつ吸収し、チャンスはしっかりとつかんでいきたいです。そして、先輩方とともに喜べるような力をつけていきたいです。自分はあまりしゃべったりもしないので、おもしろくないやつではありますが、ボートにまっすぐに頑張っていきます。どうかよろしくお願いします。
その時ごとに悔いのないレースができる選手に!!日々進化。それが目標です!
最後に48期男子の写真です。
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本当にながながとすみません。申し訳ありません。失礼します。